2007年04月28日

夢の通り道−「New Attitude」を観て−

「夢の向こう側とこちら側」
そんなことを思いながら観ていた。
New Attitude Produceによる「New Attitude」というミュージカル。
 代表はわたしが高校のときに通っていた劇団の養成所で同期だった佐竹毅氏。
作品は佐竹氏の脚本・演出・振り付け・作詞・作曲・編曲。もちろん佐竹氏自身も出演している。
案内は、演劇学校時代同期の堀米聰氏から貰った。
佐竹氏と堀米氏は、劇団四季で同期だった。

 実は、わたしは演劇学校時代からの聰のファン。
と言っても、演劇学校時代は、わたしは聰とはそんなに仲が良かったわけじゃない。彼は真面目で、わたしは飲んだくれだった(笑)せいもあって、あまり一緒に遊ぶことはなかった。こつこつまじめに努力していた彼に、入学した頃はバレエのステップを教えてあげていたのに、卒業する頃には「聰くーん、教えてー」と立場が逆転していたっけ。
彼が劇団四季にいた時代は、わたしは見ていなくて(TVで彼が主演した「ユタと不思議な仲間たち」を見た事があるけど)劇団四季をやめてから、案内を貰うようになって(それまで案内をくれなかったんだもん)見に行くようになった。
親しくなったのは、それよりもさらにあとで、ここ10年ちょっとのことだ。
と言っても聰は東京在住だし、そう接点があるわけでもないし、結婚してからはゆっくりご飯を食べる時間もなくなってしまったけれど。
 とにかく、聰は良いヤツ。
彼のステージは、ものすごく律儀で行儀がよく、見ていて気持ちがよく、まさしく彼の人柄が現れている。
もう少し崩れた魅力も見てみたい気がするけれど、その律儀さがまた聰らしいのだとも思う。ダンスはクラシックの基礎がバッチリで、端正。それに声がよくて歌が上手い。
今回の役は、後半しか出てこなくて、後半の狂言回し的な役立ったのだけれど、それでも出番が少なくて、ちょっと物足りない。わざわざ東京から呼んでいるのにもったいない、と思ってしまった。
ま、若者が中心の舞台だったから、しかたがないのだろうけど。

 舞台は、ダンサーを目指す若者の集まるダンススクール。
そこでの、生徒達と教師達とのドラマ。
ちょっと「コーラスライン」を思わせるシチュエーションもあったりする、熱いステージだった。
夢を追いかけて、挫折しそうになったり、また立ち上がったりする青年達の群像…。
舞台の上には、「あの日」のわたしがいた。
 そこは夢の向こう側。
佐竹氏や聰は夢の向こう側に到達した人たち。
夢の向こう側に到達できなくて挫折したわたしはこちら側の客席にいた。
 ドラマの中にはちらちらと生身の俳優の背景にあるリアルを織り込んである。佐竹氏演じる堺先生が上京して東京の某有名ミュージカル劇団に入ったのが1983年。それは文字通り佐竹氏がそして聰が劇団四季に入団した年。
そしてそれは、演劇学校を卒業するころキリストに出会ってクリスチャンになったわたしが、劇団の養成所の専科に編入し、数ヶ月でその劇団をやめた年。そしてわたしが演劇界から離れた年。
あの頃は「挫折」とは思わなかった。神様の導きに従っただけ…。もちろん今でもそう思う。けれども、やっぱり、「女優になる」と言う夢に関しては「挫折」したんだな、と改めて実感した。
そう認めることで、新たな出発があるような気がする。

 今のわたしはまた別の夢を追っている。
今わたしがいる世界は、とても狭い世界だと思う。
でも、演劇界が広いのかといえば必ずしもそうではない。
確かにマスコミに乗れば、広い世界だろう。でも、わたしが知っているたくさんの俳優さん達は、ほとんどの人に名前も知られずに舞台の上で、また画面の隅っこで自分の役を演じている。
佐竹氏だって、自分の劇団を率いてミュージカルコンテストで何度も入賞しているけれど、じゃあ、一般に名前が知られているかと言えば、ご本人には申し訳ないけれど、それほどでもないだろう。
でも、ミュージカルやダンスが好きな人にとっては憧れの人だったりるすのだ。
 そして、わたしの夢はと言えば、例えばキング牧師の夢とつながっている、大きな大きな夢だったりする。
自分が多くの人に知られることはないかもしれないけれど、全世界に通じている大きな夢なのだ。

 わたしが演劇をやめて数年経って神学校に通っていたころ、再会した演劇学校時代の先輩が、ポツリと漏らした言葉が忘れられない。
「(演劇を通して)もっと、とてつもなく大きなことができると思ったんだよ…」
その時わたしは、「わたしのとてつもなく大きな働きはすでに始まっているのだ」と改めて思ったのだった。
 わたしは今回、夢の向こう側でステージに立っている人たちを見ながら、新たな夢を追っている自分を再確認した。

 今は、夢の向こう側でもこちら側でもなく、夢の通り道にいるのだと思う。
向こう見ずで果てしない夢でも、追い続けていたい。
それは、神様には不可能なことではないから。
I have a dream.
そう、わたしには夢があるから、次の一歩を踏み出そう…。


  夢に見切りをつけ引き返したならば
  回り道をせずに僕は生きるだろう だけど
  月よ照らしておくれ 涙でにじまないで
  僕の身の程じゃなく 夢だけを照らしてよ
  夢の通り道を僕は追ってゆく
             By中島みゆき「夢の通り道を僕は歩いている」
posted by ♪Sunny at 10:53| Comment(4) | TrackBack(1) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

桜絵巻狸源氏/ショー・イズ・オン

 去年に引き続き2回目、かな?この宝ジェンヌの同窓会を見るのは。
まあ、半分はツレちゃん(鳳蘭)のためにやっているような公演にも見えてくるけど…。だから出演者が偏っているのかな。
 それにしても淡島千影さんはすごい。母と年齢を想像したのだけど、どう考えても70は過ぎている。もしかしたら80くらい…にはとても見えない。お綺麗だし、お元気だし。舞台も、淡島さんが出てくるときゅっと引き締まる感じ。
 お芝居の方は、各スターさんに合わせて昔の「ベルバラ」や「風と共に去りぬ」のパロディーがふんだんにちりばめられていて、楽しめた。逆に言えば、またこれか、って言うのもない訳ではないんだけど、まあ皆が楽しめたらそれでいいか、って言うのはあったかな。作品的には昨年の方が膨らみもあって良くできていたと思うけど。
若葉ひろみさんなんか、見せ場もないしもったいない使い方、って気がするけど。あんなに綺麗で、歌もお芝居もうまい人なのに…。
 とりあえず、「チョンパ」で幕が開く日本物、それだけで嬉しくなったわたしではある。

 ショーのほうは、わたしとしてはなんだかちょっと消化不良…。酒井さん、三木さんのショーはもともとわたし好みではない。垢抜けない感じがしたのはわたしだけだろうか…。
ショーの幕開きも、凝っていると言えば凝っているのかもしれないけど、なんか蛇足みたい…。
決まりきった名曲ばかりじゃなく、もう少し違う歌も聴いてみたいなあ。
当時の名作、名曲、もっともっとたくさんあるはずなのに。
 または、少し新しい曲を昔の人がうたう、って言うのも良いなあ。あ、皆さん、新しい歌を覚えるのが大変なのだろうか…。でもプロなんだもの、色んな可能性があると思うけどな。

 とにかく今回は、鳳蘭、榛名由梨、安奈淳、汀夏子と、わたしが中学生のころ全盛を誇った四天皇の揃い踏みということで、それだけでも見た価値があったかもしれない。ツレちゃんばかりが真ん中で、ファンの中には不満の声もあるらしいけど、やっぱりあの人のスター性には人を納得させるものがあると思う。そりゃ、大地真央でも出るとなればまた違うんだろうけど、もともと大地真央は宝塚命、って人じゃないし、こういう公演に花を添えて出るとは思えないし。
 四天王揃い踏みということで、芝居もショーも、他の人にまで役が回らなかったと言うのはあるんだろうな。すべての人が喜べる舞台、というのは難しいっていうことだろう。
 そりゃ、もっとあんな人に出て欲しい、こんな人が出てくれたら、っていうのはあるけど、今の内輪の同窓会的な雰囲気も、それはそれでいいのかもしれない。ま、わたしは楽しめるからそれで良いけど。
 ほんと、とにもかくにも楽しかった。笑えた。
浮世の憂さを忘れての人ときなんだから、あんまり、とやかく言わないで楽しみたい作品ではあるよね。母は、とにかく楽しかったようで「来年も切符を買ってあげるから一緒に行こう」とのことだった。切符を買ってもらえて、こんな楽しいものが見られるなら、毎年だって行っちゃうよ!
 最近の宝塚スターさんはほとんど知らないけど、やっぱり昔のスターさんは偉大だ、とつくづく思った1日だった。
posted by ♪Sunny at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月14日

一期一笑(いちごいちえ)

 遅れ馳せながら、3月5日に見た、舞台演劇「一期一笑」の感想を…。

 正直なところ、今回の舞台は、自分でも客観的に見られたのかどうか、よく分からない…。
父にとって、最後のお芝居への出演になるかも、と聞いていたことが、その原因なのだけど。

 舞台には、少々遅刻したので、幕開きは見ることができなかった…。
喫茶店「倫敦塔」が舞台のこの芝居、まあ、うそらしい世界といえば嘘らしい世界なのだけど、そんなことを言ったら、舞台なんて成立しない。
というか、映画も、TVもみんな嘘の上に成り立っていて、その嘘の世界の中に、何を見出すか、が大切なのだろう…。

 喫茶店のマスター役の梶子さんは、結婚して子供もいるゲイとして有名な方。TVでも何度か見たことのある方が姉たちと一緒に出演されると聞いて、どんな感じかな〜と、興味津々だった。
子供の頃から、ゲイの方とか、色々お会いしたことはあったから別に偏見とか、そういうのではなくて、そういう方が役者さんとして、どんな風にステージ立たれるのかな?という感じだったのだけど、キャラクターを生かした役になっていて、違和感がなかった。
 というか全体的に、今回の舞台は、とってもそれぞれの個性が生かされている配役で、面白かった。
実の夫婦の春村と姉・綾川が役の上では「あんた、あのこと結婚せんでよかったな〜」なんて役でそういうのも、実情を知っているわたしには面白かったり。
 物語は、日常(ありきたりな毎日)と非日常(殺人事件や、幼馴染の久しぶりの再会など)を織り交ぜながら、進んでいく。
 中で、思わず感情移入してしまって、涙が出てしまったのは、父の孫娘役の方の台詞。
父の役は頑固親父で文句ばかり言っていて、しかもそれが痴呆で、ますますわけが分からなくなる、と言う役。そのお爺ちゃんのことを孫娘が「あんな人やけどわたしにはいいお爺ちゃんやったんよ」って思い出を語るシーン。
わたしと父の思い出とはまったく違うエピソードだし、まだ父はボケた訳でもないけれど、世渡りが下手で、正義感が強く、そんな役回りばかりしてきた父のこと、とてもとても元気だった父がいまは病気で随分体が弱くなってしまった事、色んな思いと重なって、涙があふれてしまった。
 その父はと言うと、わたしたちが見た回が、一番演技の調子がいまいちだったらしい…。
でも、それこそ、役柄のおかげで別に気にはならなかったし、一緒に出てくる子供たちが可愛いので、気にならなかった…。
父は、テレもあったりするのか、日常生活の中では孫にベタベタと甘くはしないけど、あの舞台の上でのおじいちゃんのような気持ちで孫を見ているのだろうなあ、と思える演技だった。

 わたしたちが、日常の中で、普通に感じる反戦の意識や、「人生って、幸せって何やろう」と言うような、意識が、自然に描かれていて、良かったのじゃないかと思う。
「幸せの形は人それぞれ」という言葉が、あのお芝居の全体を表していたのかなあ。
夫は、その台詞がとても印象に残っていたようで、それって、聖書と通じるものがある、とも言っていた。
確かに、人と比べても意味はない。人をうらやんでも始まらない。
自分には自分の幸せがあるし、人には人の幸せがある…。

人生はいつでもやり直しができる。
人に必要とされることが大きな生きがいになる。
退屈だと思っている日常の中にも生きがいは見出すことができる。
愚痴を言うより、自分の周りをもう一度見直すことで色んなことを感じることができるのではないか…。
 そんなことを色々と考えさせられた舞台だった。
posted by ♪Sunny at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月06日

文楽「西遊記」

 今日両親と共に文楽を見に行った。
 夏休み時期には、毎年、3部公演のうち、1部が「親子劇場」として、子供向けの企画となる。
 今年は「西遊記(完結篇)」
 昨年は、「エピソード1」と銘打って、悟空の生い立ちから三蔵と出会うまでが上演された。
今年は、悟空が三蔵法師の弟子となり経典を取りに行くというところ。
 クリスチャンである、豊竹英大夫さんが、「火焔山より芭蕉洞の段」を語られるのとことで、楽しみに出かけた。
 少し遅れたのだけど、最初は「解説 文楽はおもしろい」というのをやっていて、歌舞伎の決まりごとや人形の仕組みなど、若手の人形遣いの方が出られて説明しておられたので、ほっと一安心。
 でもこの解説がとてもおもしろかった。最後には実際に客席から3人の子供が舞台に上がって人形を遣ってみたりして、文楽に大変親しみがもてたのではないかと思う。

 さて、その「西遊記」
けれん味たっぷりで、スピード感もあり、子供たちも楽しんでいた様子。
 特に、子供たちのためには、イヤホンガイドが無料で貸し出されていて、多くの子供たちがイヤホンを聞きながら見入っていた。時々となりにいる母親にその解説をまた「○○なんだって…」とか話して聞かせていたりしていた。
それほど耳障りではなく、かえって、一生懸命聞いて理解しているところに好感が持てた。
 実は、大人の人たちも、普段は歌舞伎など見たことない人が結構いたようで、「へー」とか「ほー」とか感心しながら見ておられて、案外こういう企画がもっと多くてもいいのかもしれないと思った。
 語りや小道具も凝っていて、義太夫の語りで「アテネのオリンピック会場まで飛ばしてやった」といえば、月桂樹の冠をかぶり、金メダルを首にかけた悟空が登場したり、単に「水」と言うところを「アルカリのおいしい水」といってペットボトルが出てきたり。
色んな入れ事ギャグも、本来、文楽が大衆のものである事を思うとき、ごく自然なことと受け止められ、むしろ痛快に感じた。子供たちも大いに楽しんでいた。

 圧巻は、人形の宙乗り。歌舞伎の宙乗りは何度も見たことあったが人形の宙乗りは初めて見た。
 人形が宙乗りするということは、人形遣いの方も一緒に宙乗りするということで、バランスをとるのも難しいだろうし、高所恐怖症では人形遣いになれないなぁ、などとよけいなことを考えてしまった。

 お目当ての英大夫さんの語られた「火焔山」は物語の中でもクライマックスといってもよい段。
 英大夫さんの語りは、口跡もよく、とても聞き取りやすく、分かりやすく、聞いていて心地良かった。

 いやぁ、久しぶりの文楽、本当に楽しかった。
大阪まで出て行くのはちょっと大変なんだけど、やっぱり時々見たいなあ…。
詩音ちゃんもう少し大きくなったら連れていきたいし。
 最近の文楽は、昔に比べて義太夫の語りもずっとわかりやすくなったし、とにかく小さい頃から接していると、大人になった頃にはわかるようになっている…わたしや姉のように。
詩音ちゃんもそんな日が来るといいのだけど…。

 今日は時間がなくて、英大夫さんの楽屋にうかがえず、残念だった。
posted by ♪Sunny at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月29日

タン・ビエットの唄≪日記より≫

 今日は、サイトにも書いていた、友人・聰のミュージカルを見に大阪まで行ってきた。
正式なタイトルは「タン・ビエットの唄〜美しき別れ〜」
 家を出て、駅のホームで電車を待っている間に、チケットを確認してびっくり!2時開演だと思っていたのに、1時開演。こりゃヤバイ。ぎりぎりだ!と思っていたら、JR大阪駅に着いたのが開演15分前。普通に歩いていったのでは間に合わない距離。走った、走った。それでも、途中にパン屋さんによって、パンと飲み物まで買って、滑り込みセーフ。開演が5分くらい遅れていたようで、座ってからも息を整える暇があった。
 さて、芝居の方だけど、これがまた感動した!
 ステージは、最初の方から泣きっぱなし。こんなに泣いていいのか?というくらい感動。
 物語は、ベトナム戦争時に、命からがら助かった姉妹の妹の方が、20年ぶりに祖国に戻って姉を探すというストーリー。妹は、当時戦争の悲惨さを訴えにヨーロッパに行く使節団に加わりそのまま亡命。イギリスで養女となって、生き延びていた。
 戻ってきて姉を探すも、当時自分たちを助けてくれた5人の兵士たちは皆別人のように荒んだ生活をしていた。一人だけはお坊さんになっていて、荒んだ生活とはちょっと違っていたけど、一人は自殺。…当時皆、「国が変わる、いや変えるんだ」と希望に満ち、それぞれ夢を語っていたが、戦争が終わっても国は変わらなかった…という悲痛さに満ちていた。
 そして国を捨て、裏切ったことを責められる妹。でもその妹でさえ、20年間苦しんでいた…。物語は、20年後の今と、20年前の回想を行ったり来たりして進んでいく。
 自分たちを助けてくれた元兵士たちを訪ね歩くうちに、更に悲劇的な現実、姉の死を知る妹…。
 でも、姉の生き様を知った妹は、ようやく前向きに生きることを見出し、ついにベトナムに残る決意をする。明日のベトナムのために、自分にできることがあるかもしれない、と。そして、ようやく自分の故郷に戻ることができ、そこで姉の残した娘とで相手を取り合う、というラストシーン。
 タン・ビエットというのは別れの言葉らしい。
 戦争中、人々は「さようなら」というとき、それは2度と会えない「さようなら」だった。でも、姉は、「また会うための『さようなら』を言える国にしたい」と語っていた。
タン・ビエットはまた会うための「さようなら」なんだと。
 物語中、これでもかと言うくらい、戦争の悲惨さが語られた。アメリカを告発するのではなく、戦争そのものの悲しさが語られていた。
 結婚し、出産してから、愛するものと別れなければならない、とか愛するものを失う、とかいうドラマに弱い。自分の夫や子供と重ね合わせて感情移入してしまうから。結婚前は、自分の親兄弟に当てはめることなんかほとんどなかった。不思議な感覚。
物語の前半からわたしほど泣いていた人はまわりにはいなかったようだ。
 でも、最後は啜り泣きがあちこちからこぼれていた。
カーテンコールも2度、3度。2度目の時は、スタンディングオべーション(みなが立ち上がって拍手すること、最近日本でもミュージカルなどを中心にふえてきた)がおこった。わたしは、何でもっと早くみんな立たないんだろう?と思っていたのだけど、みんな立った、立った。久しぶりに、本当に感動で、涙で一杯の舞台だった。
 でも、一つだけ、見ながら感じた矛盾。それはこの悲惨なテーマを、素晴らしい劇場で、高いチケット代を払って見ているということ…。なんと贅沢な世界だろう…。
 先日のイラクでの人質事件を思い出した。少なくとも彼らはそこに出かけていった。
わたしは、本当に自分にできることをしているのだろうか…。
 折りしも、帰りの電車の中で、「子供が育つ魔法の言葉」という本を読み終えた。
最後の章の終わりの部分にこう書かれていた。
「子どもたちは皆、わたしたちの未来を背負った、わたしたちすべての子供なのです。戦争や飢餓や差別を少しでも減らすことのできる未来――――地球上のすべての人々が人間という家族になれる未来。そんな未来を子どもたちに授けることができるように、わたしたちは、できるだけのことをしたいと思います。」
 この本は特にクリスチャンの人が書いたわけでもクリスチャンに向けてかかれたものでもない。でも、わたしの考え方にとてもマッチするところがあり、教えられたことも多かった。
 わたしたちの教会では「国際飢餓対策機構」の働きを支援している。クリスチャン始めたNGO団体で、郵貯の「ボランティア貯金」の対象団体にもなっている。
 わたしができることは、些細なことかもしれない。でも、ささやかでも意識を持って生きていくことが、わたしにできる第1歩なのだと信じている。
 9.11の時にも思った。
今のわたしには、とても現地に行くことはできない。
でも、世界を変えるために、何かできることはあるのではないか。
希望のないところに希望を伝えること、その働きを支援すること、現地のために祈ること…。
気の遠くなるような話かもしれないけど、わたしの周りの一人一人が変わっていくなら、世界も変わるはず…。
そんなことを考えさせられるステージだった。
 ところで、友人の聰だが、5人の元兵士の内、なんとお坊さんになるのが彼。わたしの友人は、辻ちゃんと言い、聰と言い、何で坊さんなんや?!別に芝居だからかまわないけどさ。(いや、実生活だって、本人が選んだ人生なら文句は言えないけどね)
 でも、お坊さんの格好で出てくるのは1度だけ。「すべては運命だ」と語り、「その運命を受け入れてどう生きていくのか」と語っていた。どちらかと言えば、逆説的な命題を与える役だったかな、と思う。でも、どこまでも「いいやつ」である聰にはハマってたな。
 でもって、ヤツはやっぱりかっこよかった。芝居も歌もダンスも、いつも安心して見ていられる。
芝居のために5キロも体重を絞ったんだって。すごいなあ、役者って。前には、芝居のために太ったこともあったっけ。その後、体重落とすのが大変だ、って言ってたけど、痩せたり太ったり、芝居のためにそこまでできるんだな。わたしはやめて正解だった。
 ここ10年ぐらいかな?劇団四季をやめてからの聰の舞台をチョコチョコ見るようになって、その充実した仕事振りにいつも励まされる。
そんなに数は多くないかもしれないけど、いつもいい仕事をしてる。
辻ちゃんもそうだけど、わたしはいい友達をもったと思う。
ウン、わたしも頑張ろう!
posted by ♪Sunny at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。