2007年12月30日

映画「マリア」とクリスマスについて

 初めてこの映画の話を聞いた時は「何で『マリア』?」と思ったのが正直なところです。
「マリア」をとり上げると言うと、どうしてもカトリック的な「聖母」のイメージを連想してしまったので。
 しかしこの映画は全く違っていました。むしろものすごく人間的なマリアが描かれていました。
むしろヨセフの方がすごく良くできた人であったように思います。
 この映画を見ると、当時のユダヤ教徒の習慣も良くわかります。わたし自身、当時の婚約は結婚と同じ意味、と教えられましたが、この映画でも、婚約と言っても、「今日からあなた方は夫婦だけれどマリアはなお1年間両親と共に過ごし、ヨセフは1年後に迎えにくる、それまで子供を作る行為をしてはいけない」とい両親から二人に伝えられるところがありました。マリアが、結婚前に身ごもったことがどれほど重大な意味があるか、というのがすんなり理解できます。

 マリアとヨセフの物語と並行して、3人の博士たちの物語が挿入されます。
マリアとヨセフが婚約したころから、3人の博士たちが、星の変化に気付き、預言の成就が近いことを知って旅に出るくだりは、どちらかというと地味なこの物語のスパイスのような存在で、クスリと笑えるような部分もあり、よい効果をもたらしていました。
 実は、この3人の博士たちは、いつどこで「黄金・乳香・没薬」をささげたのか、ということに関して、さまざまな解釈があります。羊飼いたちと同様、馬小屋に現れたという説と、イエスが生まれてから数日後、あるいは数ケ月後、あるいはもっと後、などなど…。
この映画では、博士たちは生まれる前から星の異変に気がついて、旅に出るので、ちょうど生まれた日、羊飼いたちの後に家畜小屋にたどり着きます。
この映画の表現は非常にすんなりと無理がなく、博士たちが家畜小屋で捧げものをしたことが受け入れられるものでした。
とは言え、クリスマスの出来事に関しては、聖書にも諸解釈があり、難しいところなのですが。

 欧米、特にヨーロッパでは、クリスマスを1月6日まで祝う習慣があります。
それは、ローマ教会(カトリック)が12月25日をクリスマス(キリストの誕生を祝う日)としたのに対して、東方教会は1月6日をクリスマスとしましたので、その中を取って、その12日間をクリスマスシーズンとして祝うようになったようです。
また12月25日がクリスマスとして定着してから、1月6日は東方の博士がイエスを礼拝した日として「顕現祭(エピファニー)」として定着しているようです。(もともと1月6日はイエスのバプテスマ(洗礼)の日として祝われていたのですが、諸経緯があってキリストの誕生を祝う日となっていったようです)
そういう習慣は徐々に日本でも受け入れられつつあり、最近では、日本でも特にクリスチャンの間に「1月6日までクリスマス」という人が増えてきたように思います。
ただ、いずれにしても、12月25日や1月6日がキリストの誕生日であるという根拠はなく、12月25日をクリスマスとする説も、1月6日をクリスマスとする説も実はもともと異教の祭を取り込んで、キリスト教的意義を与えたものです。もともと異教の祭りだったということで、伝統的なキリスト教の宗派の中には以前はクリスマスを祝わなかった宗派もあったと聞いていますし、各家を訪問して伝道することで有名なキリスト教からは異端と言われている方々もクリスマスは祝わないそうです。
 しかしわたしは、もとは異教の祭であっても、そこにキリスト教的意義を与えて、キリストの受肉を感謝する(それ以上の深い意味がありますが)この祭を、心から祝いたいと思っています。
そういう意味では、クリスチャンにとってクリスマスとは、イエス・キリストが人々の罪を購うために、肉体を取ってこの世に来て下さったことを感謝する記念日という、意味こそが大切なのであって、12月25日であっても1月6日であっても良いのではないか、とわたしは思います。また敢えてヨーロッパに習って12月25日から1月6日までである必要もないのかもしれません。もちろん、12月25日から1月6日までお祝いしても良いと思いますが。
むしろ極端にいえば1年中クリスマスの意味を覚えて過ごすべきでしょうし、イースターのことだって1年中感謝していてよいのかもしれません。ただ、こうして、世界的に12月25日がクリスマスとして定着していることは、一つの大きな証しであると思って感謝しています。

 ついでに、クリスマス・イブについても触れておきますが、12月25日がクリスマスのはずなのに、多くの場合、クリスマス・イブと言って24日にお祝いします。
この「イブ」ということばがなぜか「前日」という意味だと誤解されているところがあるようで、「前々日」のことを「イブ・イブ」なんて言うことがありますが、「イブ」というのは実は「イブニング」のことです。それを知っていれば「イブ・イブ」などという言葉が非常におかしな言葉だという言葉だということがわかりますよね。
 ユダヤの1日の数え方は、日没から日没まで。ですから、今の日時の感覚でいえば、24日の日没から25日の日没までがクリスマスなのです。25日は日が沈んだらもうクリスマスではありませんので、クリスマスの夜(クリスマス・イブニング=クリスマス・イブ)、と言えば24日ということになる訳です。

 さて、話を映画「マリア」に戻しますが、この映画で最も印象に残ったのは、ベツレヘムにたどり着く直前にマリアとヨセフがであった羊飼いのセリフと、その羊飼いがイエス様を礼拝しにやってきた時にマリアがその羊飼いに言ったセリフでした。
そのシーンでは、希望以外に何物も持っていなかった(与えられていなかった)羊飼いたちに、与えられた素晴らしいGift。すべての人々のために与えられた最高のプレゼント。それがイエス様であると、改めて心に迫ってきました。
これらのセリフによってイエス・キリストは、全世界の人々への最も素晴らしいChristmasのGiftであると、この映画は伝えようとしているのではないか、と思ったのでした。

 またそのほかに印象に残ったのは、最初、親の決めた婚約者であるヨセフを結婚相手として、それほど喜んでいたとは思えないマリアが、ヨセフも預言を受けて身ごもった自分を受け入れてくれたころから、徐々に心が通い始め、ベツレヘムへの旅を通して信頼関係を深めていくところでした。とても素敵なドラマになっていたと思います。
まだ幼さの残るマリアが女性として成長していくその家庭が短い時間に、見事に凝縮されていたように思います。

 映画を見ながら、わたしが神学生時代に書いたあるレポートのことを思い出しました。
そのレポートは、良い点数を貰ったこともあって、今でも時折参考にすることのあるものですが、その一部にイエスの母マリアについて取り上げました。
今回、映画を見て、さらにそのレポートに書いたマリア像が膨らんだ気がしました。
posted by ♪Sunny at 02:26| Comment(2) | TrackBack(1) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月19日

マザー・テレサ

 観てから随分時間がたってしまった。

 とにかく感動した。
淡々と描かれていたけれど、病む人に仕えることで神に仕えていったマザー・テレサ。

 以前読んだ一篇の詩を思い出す。
茨木のり子さんの
「マザー・テレサの瞳」

その詩についてはBlog ♪Sunnyのもの想い(2005年1月8日付)に書いたが、この映画を見ても同じことを感じた。

 手抜きで申し訳ないけれど、わざわざそちらを開くのが面倒な方もおられるだろうから、自己引用させていただく。

-----------------------------------------------------------

今回、今まで読み過ごしていた一篇に目が留まった。タイトルは「マザー・テレサの瞳」
クリスチャンでない茨木さんが、どのように、マザー・テレサを見ておられたのか、とふと気になって読みかえしてみた。
そのなかで心にとまった一節

   外科手術の必要な者に
   ただ繃帯を巻いて歩いただけと批判する人は
   知らないのだ
   瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
   慰藉(いしゃ)の意味を
   死にゆく人のかたわらにただ寄り添って
   手を握りつづけることの意味を

   ――――言葉が多すぎます
   といって一九九七年
   その人は去った

 この詩を読んで、改めて、マザー・テレサのした偉業に思いを馳せた。
 わたしは、愛を表したいと、神様の御心を行いたいと願っていながら、何と偽りの多いものか。
悪戯に言葉を並べていながら、わたしの内には、何も、愛のひとかけらもないことを示されている。
 わたしは高慢で自己中心、いじわるで心が狭く、薄情で冷淡、短気で人を責めやすく、自分の心は僻み、人を嫉み、口では立派なことばかり言う者だ。これほどまでに愛がないか、と思い知らされることばかりだ。
 本当に苦労した人は、「わたしは苦労しました」などとは言わない(それを敢えて言わなければならない状況でない限り)。本当に愛のある人は「わたしは多くの犠牲を払いました」とは言わない。「忍耐しました」とも「わたしは寛容です」とも言わない。ただ、黙ってそうするのだろう。そして、マザー・テレサは正にそのような人だっただろう。
クリスチャンではない多くの人の心を動かした、マザー・テレサの無言の行い、無言の愛の瞳は、どんなにか、深い色をしていたことだろう。
わたしとは程遠いことだけは、間違いない。

 わたしも、マザー・テレサのようにはなれなくても、せめて、わたしに神様が与えてくださった道を、まっすぐに歩むものとされたい。
 神様、わたしに愛を与えてください。


引用:
「マザーテレサの瞳」:茨木のり子、筑摩書房刊、「倚りかからず」より

-----------------------------------------------------------

    
posted by ♪Sunny at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月12日

Life is Beautiful

 わたしも夫も最も好きな映画の一つ。
何度見ても泣ける。わたしなんかあらすじを人に説明するだけで泣ける。
例によって、ものぐさなわたしは、ここにはあらすじは書かない。
興味のある方はこちら(goo映画の「ライフ・イズ・ビューティフル」あらすじ)

 前半、コミカルなだけに改めて後半、特にラストが泣ける。
でも今回改めて観て、前半にも随所に「影」の部分がちりばめられていたことを感じた。
こういう布石が物語を違和感なく、ラストへと導いて行ったのだろう。
 始めて見たのは、夫と結婚して間がない頃だったかと思うけれど、その時、あまりにも明るくて楽天的な夫が主人公グイドに重なって見えて、なんだかとても切なかった。
今回子供を持って、しかも子供の年齢がグイドの子供ジョズエと近くなっていることで、また別の感慨を持った。
 わたしたちは、グイドのように、誰をも悪者にしない教育、ができるだろうか、と言うことだ。
グイドは「どうしてあの店には『ユダヤ人と犬はお断り』って書いてあるの?」と言う質問に、「我々は不当な差別を受けているんだ。あんなもの気にしなくていい」とは答えなかった。彼はそのようにして、最後まで「あいつらが悪い」と言う教え方ではなく、物事の明るい面を子供に教えようとした。最後の瞬間まで、強制収容所での生活を子供にゲームだと教え続けた。その嘘を本当にするためのあらゆる努力を惜しまなかった。
 グイドの嘘はもはや単なる嘘ではなく「生きるための知恵」だったのだ、と思う。
わたしたちは子供に「嘘をついてはいけません」と教える。しかし、こんな嘘なら、こんな命がけの愛の嘘なら、きっと神様もゆるしてくださるのではないかしら、そんな風に思えた「嘘」だった。
 わたしたちは、グイドのように、子供に生きることの素晴らしさを教えることができるだろうか。「人生は君にとって素晴らしいものなんだよ」と胸を張って語ることができるだろうか。
簡単ではないかもしれない。それでも、わたしは、「わたしに、素晴らしい伴侶と素晴らしい子供を与えて下さった神様は、詩音ちゃんにも必ず誰とも違う素晴らしい人生を与えてくださるよ」と、伝えてあげたい、と思う。
例えば、人生において、困難にぶち当たる事があっても、不当に思える扱いを受ける事があっても、「人生は素晴らしい」と必ず思える人に育って欲しいと、心から願う。
 この映画を見ながら、もう一度そんなことを思った。

  
posted by ♪Sunny at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月14日

シザーハンズ

 この作品って1990年の作品なんだね。主演はジョニー・デップとウィノナ・ライダー。
今回はわたしにしては珍しく、吹き替え版で見た。っていうか、主役の声が大好きな、そしていまは亡き塩沢兼人さんだったから借りてきたんだけどね。
 この作品は昔TVかなんかで見て、泣ける、って記憶だけはあったんで借りたんだけど、主人公のエドワードの姿だけを見たらホラー映画かと思うよね。青白い顔をして、手だけ鋏で…。
 発明家が手をつける前に死んでしまったので、手だけ鋏のまま取り残された人造人間、って設定なんだけど、正直なところ、何で、製造途中で鋏を手の代わりにつけてしまったのか?っていうのがそもそもの疑問なんだけどね。
ま、そんなことを言ったら話が成立しない…。
 で、この映画がアメリカンだなあ、と思うのは、化粧品のセールスウーマンであるペグがまず初対面のエドワード(人造人間)似合ったときにほとんど恐れもなく、受け入れて家につれて帰ったこと。そして、家族も町の人々も、驚くほどすんなり受け入れていくこと。勿論、戸惑いや好奇の目はあるにしても…。
その鋏で庭木やペット、女性たちのヘアまで器用にカットして人気者になったエドワードはTVにまで出演するようになる…。
 だけどそれだけじゃドラマにならないから、エドワードのペグの娘キムへの恋を軸にドラマが揺れ始める…。
 結局エドワードはキムの恋人ジムの悪心から、人々に誤解され、近所のゴシップ主婦の流した噂もあって、人々にも避けられ始めるのだけど裏腹に、そのことを通してキムの心がエドワードに対して開かれていって…。
 最後はお互いの気持ちを確認しながらも結局結ばれない二人…。
まあ、詳しいストーリーに興味のある人はgoo映画とかに詳しいあらすじが出ていたからそちらを見てもらうとして、見た目のグロテスクさに反して、とても心温まるファンタジーだった。
 見た目で判断してはいけない事、人を信じる事、噂に惑わされない事…。
ヒューマニスティックな部分で、人の基本でもある、見方によっては非常に道徳的な映画ということができるかも。
 あまり深く考えないで、ちょっぴり笑ったり泣いたりできるファンタジー、かな。

 塩沢さんって、結構無口な役が多かったよなぁ…。この役もそうなんだけど。でもなんとも切ない声だ…。あんなに早く亡くなられたのは今でも残念…。

posted by ♪Sunny at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

少林サッカー

 これもDVD。話題作だったから、作品の紹介は省略。
昨日、夜中に夫と二人で見た。
こんなんばっかり書いていたら、遊んでばかりいるように見えるかな。
ここんとこ、忙しかったから、とにかく発散したかったんだよね。
それで、昨日夫が「とにかく笑って発散しよう」って選んでくれた。
 面白かった。それでいいじゃん、って感じ。
こういう作品って、理屈じゃなくて、楽しめたらいいんじゃないかな、と思う。
例によって「ありえーへん」っていいながら見ていたんだけど、それが良いっていうかさ、面白いんだよね。話もよくできていたと思うし。もちろんありえーへんけど。
 たまにはこういうのも観ないとね!

posted by ♪Sunny at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秘密の花園

 1993年に公開されたバーネット原作の「秘密の花園」
フランシス・コッポラが製作総指揮で、監督はアグニエシュカ・ホランドという女性だった。
昨日DVDで借りてきたものを今日、詩音ちゃんと一緒に鑑賞。
詩音ちゃんは途中で何度か飽きて「(TVを)けす〜!」と言っていたけど、何とか最後まで観た。
途中は結構じっと見入ってるところもあったけどね。
 わたしはバーネットの原作は読んでいなくて、大好きな漫画家・市川ジュンの絵本で読んだことがあるだけだった。ちなみにこの絵本はかなりの貴重品で、わたしも高値で手に入れたけど、今、古書店にも、ネットオークションにも中々出ない…。
 それはさておき、映画は思いのほか良かった。地味な作品だったけれど、花園の再生を通して人の心が再生されていく様が、ビジュアル的にも美しく描かれていた。
 大人も子供も、こういう穏やかで優しい作品を心の中に一つや二つ、蓄えていてもいいのではないだろうか、そんな物語だった。
 特に、脇役なんだけどメイドのマーサとディコン姉弟が物語の要だったような気がする。
死んだ世界の中で、本当に生きている人たち。その人たちがまずメアリーとふれあい、メアリーが庭と共に生き返り、そして、コリンが生き返り…。
 人生とかなんとか、深いことを考えないで素直な気持ちで見るのがいいのかも…。

 ハリー・ポッターでマクゴナガル先生を演じている女優さん、名前は忘れたけど、こういう厳格な役をやらせたらピカイチ、って感じだった…。存在感ありすぎ…。

  
posted by ♪Sunny at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする