2009年12月29日

宇宙戦艦ヤマト−復活編−

 見てきました。「宇宙戦艦ヤマト」

 まるで時代劇を見ているようでした。
波動砲は「印篭」ですね。

 はっきり言えば古臭い。
どこまで行っても「ヤマト」は勧善懲悪なんですね。

 でも懐かしかったです。

♪さらば〜地球よ〜 の主題歌はやっぱり勲さんに歌ってほしかったです。
伊武さんも声の出演していたりするんですから。

 見終わってみれば「第一部」とのこと。
まあ、ここまできたら行きがかり上、続きも見てしまうんでしょうねぇ。
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2006年05月15日

買っちゃった!

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 「ガンバの冒険」のDVD-BOX
 この春、復刻されたんです。
 旧版は、アマゾンのユーズドで、新品なら99000円で販売されているレア物。
でも、こちらはまあ、適当なお値段。
へそくりで買うには、決して安くないお値段だけど。

 何で買ったかと言うと、実は、前にオークションで買ったものが、海賊版だったため。
これって本当は違法だよね。
でも、申し込んだときは気がつかなかったんだ。
「なんでこんなに安いんだろう?」とは思ったけれど。
 それで、そういう品物を持っていることがどうにも後ろめたくて…。
かと言って、せっかく買ったものだし、どうしても欲しい作品だったし…。
この度、復刻されたので、その後ろめたさを解消するために正規商品を買ったという訳。
 買ってみたら、スペシャルなおまけもついていて、ちょっと嬉しい。

 何といってもこの作品は、児童文学の名作だし、Shionも大のお気に入り。
買っておいても損はないと思ったのだ。
 可愛いねずみ、だけど波乱万丈のドラマがある。
出崎演出は伊達じゃない。
大人が見ても鑑賞に耐える作品になっている。
 「仲間(友情)」の素晴らしさや、「冒険」の楽しさ、そしてそこで成長する姿をみて、子供もきっと何かを学んでくれるはず。
ホロリとしたり、笑ったり、娘は時には「こわーい」とそばによってくることもある。やっぱりアニメはこうでなくっちゃ!と思わせられる。
今のアニメにはない、爽やかな感動が溢れた作品。
おすすめの一品です!



posted by ♪Sunny at 11:13| Comment(2) | TrackBack(0) | アニメ(映画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

ハウルの動く城≪日記より≫

 今日は、夫と、今話題の「ハウルの動く城」を見に行った。
夫が、ジブリ好きなので・・・。
 結構面白かった。
 ただ、見終わった後、わたしは、「アニメの監督なら宮崎駿より、出崎統のほうが好きだ」と再確認した。そのことで色々夫とも話し合ったので、そこで得た結論(というほどでもないが)を交えて思いつくままに書いてみよう・・・。
わたしは、宮崎作品も全部見ているわけじゃないし、出崎作品も全部見ているわけじゃない。アニメ評論家でもないので、単なる好みの問題だとは思うけど。
 宮崎作品は、まあ、ファンタジーと言うか、現代の童話、って感じかなあ。
宮崎作品は、ヒューマニズムと自然崇拝主義に裏打ちされた、ファンタジーとしては、すごくよくできた作品だと思う。まさに、日本のディズニーという感じ・・・。
 声優の起用も巧みで、話題性に事欠かないし、魅力的なキャラクター、美しい風景など、質の良さを感じさせる。
反戦、文明批判、心や愛の大切さ・・・、そのようなテーマを否定する人々はいないだろう。
子供から大人まで、どんな層にも受け入れられ支持される嫌味のなさ、ほぼ完璧・・・。
 にもかかわらず、わたしは出崎作品の方が好きだ。
世界の宮崎駿、といったブランド感はないと思うし、最近目立った作品もないように思うけど…。
ま、言ってみれば、今はもう第一線ではないのかもしれない。
そういう意味で夫にいわせれば「世代の違い」なのだそう。
 ただ、わたしが出崎作品にこだわるのは、そこには「人間」が描かれているから。宮崎作品のような、一般論としての人類観ではなく、1人の人間の生き様みたいなものが描かれているから…。
奇麗事でない世界、人の葛藤や、悩みや、苦しみ、そんなものがきっちりと描かれている気がするから。
そう、宮崎駿の世界はなんだか奇麗事過ぎる気がして・・・。
ま、それはそれで、そういう映画も大切なのだろうけど・・・。
ただ、ディズニーなら、もっと純粋にエンターテイメントとして楽しませてくれる気がするのだけど、宮崎作品にはなんとなく「人間にとって大切なものは、文明や、権力ではなくて、お互いを、そして自然を愛する心なんだよ」みたいな、説教臭さが漂う。そこがなんとなく鼻につくというか・・・。
 それなら、出崎作品のように、徹底して「哲学」を語ってくれるほうが、それもシンプルに「生きるとは」みたいな、「人生哲学」を語ってくれるほうが、好きなんだなぁ。それでいて、演出も凝っているし…。
 「家なき子」だって、原作では、後半は驚くほどご都合主義的なハッピーエンドなんだけど、そこにひとひねり加えられることで、ググッと、内容が深まる・・・、そんな気がする。
 ま、やっぱりこれは好みの問題なのでしょう・・・。
 「ハウル・・・」に話は戻るけど、今回は、イヤ、今までもそうなのかもしれないけど、今まで以上に、キャラのデザインが、声優をはじめから意識して書かれているような気がしてならなかった。
とくに、ハウル、ソフィー、荒地の魔女、サリマン先生。
 なかでも感心したのは、倍賞千恵子さん。ソフィーと言うのは、おばあさんになったり、少女に戻ったり、その中間だったり、すごく年齢表現が難しかったと思うけど、とてもうまくあっていたように感じた。それと歌。昔から歌っておられることは知っていたけど、声楽家のように上手いわけじゃない、でも今の若い子の歌とも違う、なんだかしっとりした魅力があって、わたしはとても好きだった。正直に言えば、わたしは木村拓也は、好きじゃないのだけど、やっぱり才能は認めざるを得ない、なかなか器用な青年だと思う。
 ま、これだけじゃ、感想になっているのかなっていないのか、わからないけど、見ておられない方もおられるだろうし…と言うことで、「ハウル…」を見て思ったことでした(夫と話し合って、色々考え方がまとまったので、初めからわたし一人の考えではないことを付記しておきます)。

posted by ♪Sunny at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ(映画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月11日

パッション

 パッション
 キリストの受難…
 何から書いたらよいのだろうかと思う。

 実は私は、これを見たらもっと泣くだろうと思っていた。
色んな人の、涙でグチョグチョになった話を聞いていたので、いたって涙もろいわたしは号泣するだろうと思っていた。
 ところが、そうではなかった。自分でも本当に意外だった。
何というかボディーブローのように臓腑に堪える映画だった。
わたしにとっては泣く以上の重みがあった。
 血を見て気持ち悪くなるかもしれないので行きたくない、と言う人がいたが、確かに、一度、吐き気をもよおした。イエス様の傷つく姿を正視できなかった。
 多分2度くらい、悲鳴を上げてしまったと思う。大声ではなかったが。

 イエス様を追い込んでゆく民衆の狂気。
ほんの少し前、棕櫚の葉を敷き詰めて「ホサナ・ホサナ」と主をほめたたえた同じ民衆が主を十字架につけよと叫ぶ…。あの狂気の中にわたしもいたのだ。
 主を三度否んだペテロを見つめたその眼差しのなんと切なかったことか。
 それでもわたしはお前を愛していると、主の語られた瞳が、わたしにも向けられている。

 この映画を見ていて、イザヤ書の53章が何度も頭をよぎった。

彼は主の前に若枝のように芽生え、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
イザヤ53:2


 主人がよく言っていた。聖画に描かれているような立派なイエスは、実は違うのではないか、と。
 確かに、わたしたちが見とれるような姿も、輝きも、見栄えも無い、それがまさに十字架の主、イエス様だった…。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、
苦しめられたのだと。
イザヤ53:3,4


 イエスを十字架にかけた人々の中に、わたしがいた、と先ほども書いたけれども、ここに書かれている「私」がまさしくわたしであると…。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
イザヤ53:5,6


人の全ての罪を、その身に負うことはいかに重責であったか、それを、わたしたちと同じ弱さを持った生身のイエス様が成し遂げてくださった。
わたしたちと同じ痛みを感じる、生身のイエス様が成し遂げてくださった。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
イザヤ53:7


 主は何も言われなかった。何も申し開きをされなかった。黙ってその身に全てを負われた。
主は全てを受け入れ、父の御心に従われた。
主は、耐え忍んでくださった。わたしたちの罪を…。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
イザヤ53:8


 おそらく、その十字架の最後まで付き従ったヨハネと二人のマリヤでさえ、その時点では、イエス様の十字架の本当の意味を、罪の贖いの真の意味を理解してはいなかっただろう。
 誰も、誰も、理解しなかった、その十字架を主は負われたのだ。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ53:9-12


 これが主の御心…。
彼を砕いて痛めること、命の激しい苦しみ…それが主の御心。それは、全てわたしのため…。
今も主はとりなしておられる。全ての罪のために…。
わたしたちは知らなくてはならない。

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕は、だれに現われたのか。
イザヤ53: 1



 今思い出しても、胃のあたりに鈍痛を感じる。
 この映画は、ある意味で、全人類の罪を贖ってくださった主の苦しみと戦いのドキュメンタリーなのかもしれない、と思う。
 ただ、わたしは恥じる。
映画を見てもなお、この痛みのどれほどを自分が理解しているのか。

あなたがたはまだ、罪と戦って、
血を流すまで抵抗したことがありません。
ヘブル12:4


 わたしは、主のはした女です。
 あまりにも弱い人間です。
 それでも愛してくださる主の眼差しを思い返すとき、ただ涙があふれます。

 そう、わたしは、映画を見ているときより、見終わってこうして色々思い返しては、涙をこぼしている。

 映画で涙したのは、むしろ、ヒューマニスティックな部分かもしれない。
 イエス様が大工をしておられたときの母マリヤとのやり取り…。
映画の中では唯一のイエス様の屈託の無い笑顔ではなかったか。
 ヴィア・ドロローサで、母マリヤが幼子イエスが転んだ時駆け寄ったのと同じ思いで「わたしがここにいる」と駆け寄った姿…。
 神学生時代、イエスの母マリヤについて調べてレポートに書いた。
 伝承や他の資料ではなく、聖書に書かれているマリヤの断片を集めて自分なりに考えた。
その時から、マリヤは私のもっとも好きな聖書の女性の一人となった。
 肉の母としての思いを持ちながら、イエス様を「主」として従った女性。
到達し得ない聖母でなく、生身の人でありながら、なお、イエスを信じぬいた女性。
 自分が母となった今、この人への思い入れはひとしおである。

 ヨハネについての思いも新たにした。
 ヨハネは、自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現した。
今まで、本当にイエス様がヨハネを一番愛されたのか?ということがわからずにいた。
今回、なぜヨハネが自分のことを「イエスが愛された弟子」と書いたのか、少しわかったような気がした。
 それは、イエス様が本当に特別に愛されたかどうかではなく、イエス様に愛されている、とヨハネが感じていた、ということなのだと思う。
 イエス様は、どんな人も分け隔てせずに愛してくださるお方だ。
けれども、多く赦されていると感じる人は、それだけ主に愛されていると思う。
イエス様の守りや導き、祝福を実感している人は、より感謝し、それは「愛されているからだ」と思うだろう。
 そういう意味で、ヨハネはより、主の赦しを実感し、主の贖いを実感したのだろう。それは、十字架の主を、間近で見届けたからなのかもしれない。(これはマグダラのマリやにも通じることかもしれないが)
 その上、主がご自分の肉の母親をゆだねてくださった、ということは「自分は主に愛されている!」と思っても不思議ではないと思う。
 以前あるクリスチャンの方が「自分は神様にえこひいきされている」と語っておられた。わたしも負けじと「わたしこそ神様にえこひいきされている」と主張した。
わたしもまた、誰よりも罪深く、弱い人間なのだから…。

 さて、この映画を少しだけ違った角度から見てみた。
 見ながら感じたことは、やはりカトリック的要素が多分に入っている、ということだ。

 ヴィア、ドロローサで何度イエス様が倒れたか、数えなかったけれども、カトリックにはそういう伝承があったはず。
 聖顔布と言うのだったか、イエス様の顔の血の痕を写し取った布の伝承も、カトリックにあるはず。
 それから随所に、聖画の影響(?)が見られた。
美術好きな人が見るなら、誰のどの絵、とわかるような構図が見られた。
イエス様の十字架の顔も何かの聖画で見たものとそっくりだった。
 と思って、あとで、教会員の方から借りたパンフレットを見てみたら、作家の加賀乙彦が、絵画的手法について触れていた。
 加賀乙彦が指摘していたが、ゴルゴタと呼ばれる処刑場の位置(状態)や、本来手首に打たれたであろう釘が手のひらになっていることなども、この絵画のイメージを大事にしたものらしい。
 また、撮影にも、カラバッジョの映像からヒントを得ているとのこと。
 わたしの見方もあながち間違ってはいなかったらしい。

 映画の最後は、わかる人にしかわからないような復活のシーン。
イエス様が冒頭のゲッセマネの苦悩の祈りの際にサタンに誘惑され、祈りによって戦われるシーンの最後、主がついに確信を持って立ち上がられたとき、蛇の頭を踏み砕かれたシーンがわたしの中でリンクした。

わたしは、おまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく。
創世記3:15
(注:おまえとはサタンのこと)


 最後の勝利がイエス・キリストにあることに感謝。
 この映画は、おそらくイエス・キリストを知らない人々にも充分衝撃を与える映画であると思う。
 もし、人が真剣にこの映画を見ようと思うなら、インターネットや、一般の書店にある様々な本で予備知識を取り入れることは可能だ。
もともと、イエス様は、求める人々にだけ理解できるように語られた。
 一人でも、この映画を理解したいと思う人が起こされますように。

 それにしても、ボディーブローは、精神的なものだけではなかった。
映画館を出ようとしたとき、わたしの足はガクガク、ひざが痛かった。



クリスチャンはもちろん必見。でも、クリスチャンじゃなくても、是非見ていただきたいお勧めの映画です。
posted by ♪Sunny at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ(映画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月15日

「ダンボ」

 久しぶりに「ダンボ」を見た。今まで、「ダンボ」はディズニーアニメの中でも、これといって好きな作品ではなかった。ビデオを買って持っていたけど、もしかしたら、今まで見ていなかったかも。
 で、詩音ちゃんが毎日同じDVDばっかり見ているから、とりあえず、手近に出てきた「ダンボ」を見せてみた。 最初は「ぞうさんや〜」と喜んでいたけど、字幕スーパー版だし、画面的に刺激が少ないせいか(色目が最近のに比べて地味だし)途中であきてしまったみたい。
 でも、私は、最初から結構感動!
 昨年SMAPの「世界に一つだけの花」が大ブレイクしたけど、本当に「ダンボ」って「Only one」の元祖(?)みたいな作品。「世界に一つだけの鼻」じゃなくて「世界に一つだけの耳」だけどね。
 まず、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるところから、なんかウルウル。子供は神様からの贈り物、宝物、っていうところは、子供を生んだ今だから余計に心に響いたと思う。
 それから、馬鹿にされている子供をかばって母象のジャンボが暴れてしまうところ。もう切なくて切なくて。書いている今も、思い出すとウルウルしてしまう。
 あと、ねずみが初めて、ダンボを励ましにいくところで「君の耳は素敵だよ!」って声をかけるところ、とても心が温かくなった。

 本当に、みんな一人一人、個性があって、素敵なんだよね。
 今日、詩音ちゃんの参観に行って、詩音ちゃんが(わたしへの甘えもあったかもしれないけど)、体操(お遊戯みたいな感じ)を全然しないのを見て、「詩音ちゃんと誕生日が1日しか違わないKちゃんは、すごく上手なのに」とちょっぴり思ったり、言葉も他の子がいっぱい話すのを見て(聞いて)びっくりしたけど(人と比べちゃいけない、ってわかっていても、ついついよその子を見てしまう(~_~;))、詩音ちゃんは詩音ちゃんのままでいいんだ!!
 詩音ちゃんは、お歌が上手だし、おしっこもウンチもちゃんと自分でできるし、「ここが痛い」といえばチューしてくれるし、詩音ちゃんことばでいっぱいお話してくれるし、笑顔は最高に可愛いし、何よりも、詩音ちゃんが詩音ちゃんであることが最高!!
 こんな素敵な子をわたしたち夫婦に預けてくださって、神様ありがとう!

posted by ♪Sunny at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ(映画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする